スランプは自分に足りないものを知る機会 [スポーツの視点からみる人的資源]
月曜日のオフィスには、どんな空気が漂うだろうか。
一週間の始まりを迎えて活力でみなぎっているか。
それとも、憂鬱なムードが立ち込めているか。
組織を束ねる上司としては気になるところだ。
スポーツのチームにも「休み明け」の瞬間がある。
サッカーJリーグのチームの場合、
リーグ戦の翌日か翌々日が丸一日オフになる。
結果を残している指揮官は、ここで選手を観察する。
柏レイソルのネルシーニョ監督は、
オフ明けの練習で誰よりも早くグラウンドに立つ。
さりげなく選手を待ちながら、
誰がどんな表情を浮かべているのか、
誰と誰が話をしているのかなどを観察するのだ。
直前のゲームで負けていれば、
張りのない表情が並びがちである。
連敗中となればチームに停滞感が忍び寄ってくるが、
ブラジル人指揮官にはそれも想定内だ。
グラウンドに集まった選手たちに、こう問いかける。
「試合で勝てないことがあっても、
勝つための準備は常にできるはずだ。
それはしっかりと続けていこう」
練習の大切さを問いかける先には、こんな思いがある。
「勝つための準備では相手に負けていないぞ、
という意識を持てれば、グラウンドに入ったときに
選手が抱く責任感や勇気がより強固になっていくのです」
組織や個人の能力に関わらず、
成果の上がらないタイミングはある。
そこで「自分(たち)はスランプに陥っている」と
意識させない方向づけをすることに、
上司の存在意義はあるはずだ。
結果を問い詰めず、過程に目を向けさせる。
結果が出ないことは、
足りないものに気づくきっかけを得たと理解すればいい。
「敗戦は、自分(たち)に何が足りないのかを知る機会になる。
結果を受け止めるというのはそういうことだ」と
ネルシーニョ監督は言う。
スランプを作り出すのは、ほかならぬ自分自身なのだ。