肩書をふりかざしても、部下はついてこない[スポーツの視点からみる人的資源]
中学や高校の部活動で、
「顧問の先生に反論できなかった」
という方は少なくないだろう。
自分なりに考えたプレーだったとしても、
先生に否定されたら言い返すのを躊躇したはずだ。
「先生の機嫌を損ねたら、
試合で使ってもらえないかもしれない」という危惧が、
不条理と思える指摘でも受け入れることにつながっている。
プロスポーツでも同じような状況は起こり得る。
試合に出なければ報酬を得られないだけに、
選手たちは監督に従順であろうとする。
しかし、立場を越えた意見交換の
できないチームはトラブルに弱い。
スポーツのチームなら監督が選手の、
会社なら上司が部下の意見を吸い上げるのは、
組織を円滑に運営されるために不可欠だ。
上司に部下の意見を受け入れる準備があっても、
過去の実績が部下を身構えされることもある。
組織の立て直しとしてやり手の上司がやってくると、
部下はどうしても遠慮がちになるものだ。
サッカーJ1リーグの名古屋グランパスを率いる
ドラガン・ストイコビッチ監督は、
一見すると近寄りがたい雰囲気を漂わせる。
現役時代に世界的なプレーヤーとして名を馳せた彼は、
サッカー界のセレブリティである。
ところが、選手たちは彼の人間性に魅せられていく。
実績や肩書をふりかざさないからだ。
「監督と選手の間には、リスペクトがなければならない。
それは勝手に生まれるものではなく、
日頃の触れあいが培う信頼や信用によってついてくる。
選手によって性格は違うから、接し方は変えなければならない。
選手からの意見はもちろん受け入れるし、
質問に対する答えは相手を納得させられるものであるべきだ。
選手と私がお互いを理解していることが、
このチームの力の源になっている」
そして、ストイコビッチはこう言うのだ。
ノー・リスペクト、ノー・リザルト、ノー・ワーキング
──互いを思いやる気持ちがなければ、結果はつかめない。
いい仕事はできない、と。
21世紀型のリーダーには、
聖域なき意見交換を受け入れる懐の深さが求められるのだ。